高砂雑話 ~その 28 高砂部屋伝統の四股名~ 高見山 ②(4代目~5代目)

4代目高見山は千葉県銚子出身で本名吉岡酉之助。明治28年21歳の時に加増山(かぞうさん)の四股名で初土俵。40年35歳で新入幕と当時でもかなり遅咲きの出世を果たし翌41年5月場所から高見山酉之助(とりのすけ)と改名。42年6月の国技館開館の場所で新大関太刀山を破り、横綱梅ケ谷と大関国見山とは引き分けと奮闘し7勝3分の成績を上げ、この場所から始まった最優秀成績者に贈られる優勝掲額力士第1号となりました。173㎝139㎏の体格で最高位は関脇。左四つからジワジワ寄っていく慎重な取り口で“鈍州(どんしゅう)”と呼ばれたといいます。大正2年(1913)引退して協会には残らず銚子に戻り、飲食店を営みながら地元の高校生や素人相撲の指導者としても活動していたそうです。大正13年1月満50歳で逝去。

高見山酉之助

そして、5代目高見山が皆様にもお馴染みのジェシーこと高見山大五郎です。昭和39年(1964)2月横綱前田山の4代目高砂にスカウトされハワイマウイ島から来日。初めて体験する雪の寒さ、慣れない食事、言葉の壁、激しい稽古と固い体での拷問のような股割り、様々な苦難を耐え忍び、入門三年後の昭和42年3月場所で新十両、翌43年1月場所新入幕と番付を上げ、同年3月場所では横綱佐田の山を破り初金星。以後も柏戸、北の富士、琴櫻、輪島、北の湖と金星を重ね獲得12個は歴代2位の記録。特に横綱輪島には滅法強く7個の金星を勝ち取っています。192㎝205㎏の巨体から繰り出す突っ張りやのど輪は威力抜群で、昭和47年7月場所では13勝2敗で幕内最高優勝を果たし、表彰式にはニクソン大統領からも祝電が届き大きな話題となりました。

47年7月幕内優勝

大きな体に愛嬌溢れる性格で、「二倍!二倍!」で知られる布団の丸八や各社のCMやテレビ番組等にも多数出演し国民的な人気を誇りました。昭和59年(1984)5月場所で引退して東関部屋を興し、横綱曙、潮丸、高見盛等を育てます。高砂部屋とは師匠同士が兄弟弟子ということもあり、お互いの部屋を行き来しての稽古、また東関部屋の白河合宿に高砂部屋が参加したり、高砂部屋の下妻合宿に東関部屋も参加したりとよく稽古を共にしていました。当時幕下だった朝青龍は高見盛と共に横綱曙の胸を借りて稽古に励み番付を上げていきました。平成21年(2009)定年退職し、81歳となった現在も元気に過ごされています。

元・一の矢

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