高砂部屋伝統の四股名小錦 八十吉①(初代)【高砂雑話 その 29】

小錦という四股名は、元大関で現在タレントとして活躍中のサリーこと小錦さんが有名ですが、明治時代の第17代横綱小錦八十吉が初代小錦です。初代小錦は、本名岩井八十吉。千葉県山武郡横芝村の生まれで相撲好きの父親の強い勧めもあり明治13年秋に同郷の響矢(後の2代目高砂)を頼って初代高砂部屋へ入門、数え年14の時でした。ところが、まだ子供過ぎて稽古に身が入らず脚気等も患い14年1月場所前には親に頼み込んで家に帰ってしまいます。故郷に戻り学校へ通い友達と遊びで相撲を取り、酒屋へ奉公に出て酒樽を軽々と運んだりしているうちに体も大きく力も強くなり、宮相撲でも勝つようになって相撲が面白くなってきたといいます。

197cmの横綱巨砲と取り組む小錦(背中)

そうして2年程経った時に隣村に高砂部屋一行が巡業に来て、今度は自分から頼み込んで再入門となったのが明治15年3月17歳の時でした。再入門後は熱心に稽古に取り組み20歳で十両昇進、22歳で新入幕と当時としては珍しいスピード出世で番付を上げていきます。

167㎝、120㎏(横綱昇進時)という短駆ながら、立ち合い早く、突っ張りと残されれば叩き込み、組んだら吊り出しと、縦横無尽に土俵狭しと動き回るスピード相撲で相手を寄せ付けず、明治21年5月の新入幕から29年5月の横綱昇進までの9年間、敗れたのは1敗のみ(25年1月司天竜戦)という驚異的な強さを見せました。錦絵から抜け出たような美しい色白の体で相手を圧倒する相撲は「狂える白象」と称され大人気を博し、東京では「小錦織り」という織物まで売り出されたそうです。同時代に生きた正岡子規も句を残しています。「善き聲にこなた小錦とよばはったり」「小錦に五人がかりの角力かな」 

そんな華々しい活躍の小錦でしたが、横綱昇進後は精彩を欠いてしまいます。師匠初代高砂の脳病が悪化し病床につくと、廃人同様の親方を気遣い、毎日のように見舞い、部屋の世話や後進の指導にも精魂傾け、土俵に専心することが叶わなかったようで師匠高砂の逝去と時を同じくするように土俵を去ります。引退後、年寄二十山を襲名して二十山部屋を創設し、誠実・真面目な人柄で人望を集め弟子育成にも力を発揮します。2代目高砂亡き後の3代目襲名が内定していたのですが、巡業先で48歳の若さで急死してしまいます。酒も煙草もやらず、小説好きで朗読が得意で、他の部屋の関取衆がよく聞きにやってきたといい、家の中には貸本屋のようにギッシリ本が並んでいたそうです。

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