
朝潮(朝汐)太郎 ②(3代目~5代目):全員が横綱・大関の出世名
3人目に朝潮を名乗ったのは第34代横綱男女ノ川でした。大正13年に高砂部屋に入門し男女ノ川の名で負越し知らずで十両昇進し、昭和4年5月場所で“朝潮供次郎”と改名し将来の横綱候補と期待されますが昭和7年の春秋園事件で協会を脱退。激怒した高砂(2代目朝汐)は朝潮の名を取上げ男女ノ川に戻し、所属も高砂部屋から独立した元阿久津川の佐渡ケ嶽部屋所属となります(そういう経緯から代々の朝潮に入れない場合もあります)。
4代目朝潮は、皆様もご存知の第46代横綱朝潮。昭和23年米軍統治下だった徳之島から密航して米川の四股名で初土俵。百年一人の逸材と期待され、二枚鑑札だった師匠の横綱前田山と横綱東富士に鍛えられ出世の階段を上っていきます。入幕して5場所目の27年5月から朝潮を名乗り、朝汐の四股名で34年5月から横綱昇進(35年7月から朝潮)、濃い眉毛に胸毛と男性的な風貌で少年マガジン創刊号の表紙を飾り、東宝映画『日本誕生』で「手力男命」役で出演等と人気を博しました。また、大阪場所に強く「大阪太郎」のニックネームで愛されましたが、横綱昇進後は脊椎分離症を患い37年1月場所後に引退。その後5代目高砂を襲名して大関朝潮、小錦、水戸泉等を育てますが、楽しみにしていた還暦土俵入りを前にした63年10月に逝去されました。
そして5代目が「大ちゃん」の愛称で親しまれた先代師匠の大関朝潮です。高知県室戸市の生まれで地元の小津高校から近畿大学へ進学。入学時は、ほぼ無名の存在に近かったものの近大相撲部の猛稽古に耐え、3年4年と2年連続で学生横綱・アマチュア横綱の二冠を達成、学生相撲史上初の快挙でした。昭和53年3月場所本名の「長岡」でデビュー。7戦全勝で幕下優勝を飾り、翌場所も6勝1敗の成績で7月場所に新十両。十両を2場所で通過して11月場所新入幕、54年1月敢闘賞を受賞して3月場所より“朝汐太郎”に改名(57年11月から朝潮)。明るいキャラクターで、CM出演(味の素アルギンZで中村雅俊との共演)や「わいはアサシオや」(いしいひさいち)という4コマ漫画にもなるほど国民的な人気者でした。58年3月場所で大関に昇進、60年3月場所で初優勝。平成元年3月場所で引退して山響襲名。平成2年3月から若松部屋を継承し、14年2月に7代目高砂となり、朝乃若、朝乃翔、朝青龍、朝赤龍を育て協会の理事として広報部長等を歴任し、停年に伴い8代目を朝赤龍に譲り、令和5年11月逝去されました。
元一の矢




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