相撲を愛し高砂部屋を愛した相撲診療所所長

 前相撲診療所所長の林盈六氏は大正15年千葉県成田市の生まれ。開業医で相撲好きだった父親の影響で子どもの頃から力士に憧れ、東大医学部の学生時代に相撲部をつくろうと奔走したり相手構わず相撲を取ろうと呼びかけていたそうです。そんな相撲好きが高じ縁あって診療所医師として勤務することになったのが昭和39年夏、横綱双葉山の時津風理事長の時でした。

 相撲診療所が開設されたのは昭和33年1月のこと。当初の健康診断はレントゲンと尿検査のみだったそうですが、横綱玉の海の急死を機に林氏が協会に何度も働きかけ血液検査等も実施されるようになりました。それまで個人まかせであった力士や親方衆の生化学的データが一括して管理されるようになり、一般人との違いや体の大きな力士の標準値等、数々のデータが力士の健康管理に活かされています。その貴重なデータをまとめたのが『力士を診る』(中公新書1979)、『力士100年の診断書(カルテ)』(ベースボール・マガジン社1984)、『力士たちの心・技・体』(法研1996)等の林氏による著書です。著書には、サラリーマンより低い関取衆の体脂肪率や糖尿病患者率、尿酸や中性脂肪の高数値、タバコの弊害や体重増加の危険性等々、長年蓄積されたデータによる専門的な知見が興味深く記されています。

『力士100年の診断書(カルテ)』(ベースボール・マガジン社1984)

 そんな林氏はプライベートでも力士や親方と交流があったのですが、最も親しかったのが元横綱朝潮の5代目高砂親方だったそうで、親方の気さくな人柄に惚れ高砂部屋をよく訪れ、力士達ともチャンコを囲んだり飲みに連れ立ったり健康相談を受けたりと深く関わっていたようです。

大関朝潮断髪式の林盈六氏

 力士たちとの交友録という章では、引っ越しを手伝ってもらった元十両上潮から打ち明けられた引退と結婚式の話、幕内朝嵐との思い出、幕下一の谷がチャンコ屋を開く話、幕内朝岡がはじめ嫌がっていた診療所の看護師さんを熱意で寄り切って結婚した話。富士櫻や水戸泉との酒にまつわる話。すべて高砂部屋の力士とのエピソードです。さらに、力士の短命についても触れ、現役時代は稽古さえしっかりしていれば少しくらいの飲み過ぎ食べ過ぎは問題ないが、引退後は一日2食を3食に戻し運動を継続して行うことが寿命を伸ばすことにつながると説いています。
 相撲を愛し、高砂部屋を愛した林盈六氏は90歳を過ぎても現役の漢方医として活躍され天寿を全うされました。

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